アド山

11月 25th, 2017

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おさんぽ

11月 19th, 2017

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ボジョれ2017

11月 16th, 2017

ボジョる
ボジョれば
ボジョれ

常葉鎌倉岳

11月 12th, 2017

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龍王峡

11月 11th, 2017

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塩原温泉 新湯富士

11月 5th, 2017

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半月山

11月 3rd, 2017

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斎藤山

10月 28th, 2017

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台風一過の郡山さんぽ

10月 23rd, 2017

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鳥肌が / 穂村弘

10月 22nd, 2017


・ぼ・・・・・・・・・・
・・・・・・・・ぼ・・・
・・・・ぼ・・・・・・・


良いことだろうが悪いことだろうが、他人という存在の扉を叩く行為は本質的には常におそろしい。何故なら、他人とは、自分とは異なる命の塊だから。そこには眩しいほどの未知性が詰まっている。それこそが恐怖の源であり、同時に喜びの源でもあるのだろう。

あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった / 川崎徹

10月 22nd, 2017

思い出すこと以外、できなくなる。

思い出されること以外・・・

「先生、よく聞こえませんでした。もう一度言ってください」
「ぼくがここで死んでいた間、君はずっと生きていた」
平山は頭のなかで英文を綴った。
わたしはずっと生きていた、先生がそこで死んでいた間。

もう生まれたくない / 長嶋有

10月 22nd, 2017



先生とは「先」に「生」きた人と書く。先に生きた人たちに、シルビア・クリステルという女優がどんな風に思われていたかは後に生きる素成夫には絶対に分からない。それなのに彼女の映像だけは残っているから、先に生きなかった者も簡単に検索をかけたりして、みることが出来てしまう。そして必ず実感できることもある。「亡くなって残念」なんて言葉は書かないし書けない。「実感した」ことだけを素成夫は書いて送信する。
[とても綺麗な人でしたよ]書かなければいけないレポートを前に、そんなことをして「ウダウダ」する、それもまた先に生きた人と共感しあえる普遍的な事柄かもしれないと思いながら。

先に生きた人たちと、先に死んだ人たち。
生きている側にいるから後も先もなく共感できる。

面白山、紅葉川渓谷

10月 14th, 2017

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山形へ

10月 13th, 2017

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黒磯さんぽ

10月 8th, 2017

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