Archive for 3月, 2023

うんち学入門

日曜日, 3月 26th, 2023

「生き物は内部環境で自身を外界と隔て、外部環境に囲まれて生きている。『からだの内外』は一見、截然と分かれているように思えるけれど、消化管はどうだろう? 開口部である口と肛門は外部環境に向かって開いているから、消化管の中は『完全な内部環境』とはいえないかもしれないね。『うんち』が誕生する消化管の中は果たして、『からだの内部』だろうか、『からだの外部』だろうか?」

三毳山さんぽ

火曜日, 3月 21st, 2023

続きを読む

開花さんぽ

月曜日, 3月 20th, 2023

続きを読む

鎌倉~逗子さんぽ

日曜日, 3月 19th, 2023

続きを読む

M/Tと森のフシギの物語 / 大江健三郎

金曜日, 3月 17th, 2023

ある人間の生涯を考えるとして、その誕生の時から始めるのじゃなく、そこよりはるか前までさかのぼり、またかれが死んだ日でしめくくるのでなしに、さらに先へ延ばす仕方で、見取図を書くことは必要です。あるひとりの人間がこの世に生まれ出ることは、単にかれひとりの生と死ということにとどまらないはずです。かれがふくみこまれている人びとの輪の、大きな翳のなかに生まれてきて、そして死んだあともなんらかの、続いてゆくものがあるはずだからです。

有限の生を俯瞰して、生の関係が続いてゆくものとして捉え直す。

そのようにバラバラになってしもうて、それぞれ思いおもいにこの世へ生まれ出た私らは、しかし自分のいのちのなかにな、「森のフシギ」という、自分らがもともとそこにあったものに懐かしさを感じておるのじゃなかろうか?
(・・・)
ここで人が死んだらば、魂になって森の高みに昇って、樹木の根方にとどまる。それも「森のフシギ」が、この森の樹木を特別なものにしておるからでしょうが! そしてやはり「森のフシギ」に励まされて、魂は新しい赤んぼうの身体に入るのでしょう……
それは確かに同じことの繰りかえしであるけれども、なぜそのような繰りかえしがあるかといいますならば、それは魂がみがかれて、「森のフシギ」のなかにあった、もとのいのちに戻れるまで、清らかになるためやと思いますが!

ご冥福をお祈りいたします。

――大丈夫、大丈夫、殺されてもなあ、わたしがまたすぐに生んであげるよ!

福岡帰り

日曜日, 3月 12th, 2023

続きを読む

福岡行き

土曜日, 3月 11th, 2023

続きを読む

芳賀さんぽ

日曜日, 3月 5th, 2023

続きを読む

大岩山、行道山

土曜日, 3月 4th, 2023

続きを読む