M/Tと森のフシギの物語 / 大江健三郎

ある人間の生涯を考えるとして、その誕生の時から始めるのじゃなく、そこよりはるか前までさかのぼり、またかれが死んだ日でしめくくるのでなしに、さらに先へ延ばす仕方で、見取図を書くことは必要です。あるひとりの人間がこの世に生まれ出ることは、単にかれひとりの生と死ということにとどまらないはずです。かれがふくみこまれている人びとの輪の、大きな翳のなかに生まれてきて、そして死んだあともなんらかの、続いてゆくものがあるはずだからです。

有限の生を俯瞰して、生の関係が続いてゆくものとして捉え直す。

そのようにバラバラになってしもうて、それぞれ思いおもいにこの世へ生まれ出た私らは、しかし自分のいのちのなかにな、「森のフシギ」という、自分らがもともとそこにあったものに懐かしさを感じておるのじゃなかろうか?
(・・・)
ここで人が死んだらば、魂になって森の高みに昇って、樹木の根方にとどまる。それも「森のフシギ」が、この森の樹木を特別なものにしておるからでしょうが! そしてやはり「森のフシギ」に励まされて、魂は新しい赤んぼうの身体に入るのでしょう……
それは確かに同じことの繰りかえしであるけれども、なぜそのような繰りかえしがあるかといいますならば、それは魂がみがかれて、「森のフシギ」のなかにあった、もとのいのちに戻れるまで、清らかになるためやと思いますが!

ご冥福をお祈りいたします。

――大丈夫、大丈夫、殺されてもなあ、わたしがまたすぐに生んであげるよ!

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