「こんなふうにボールで遊んでいる俺は、本当にボールで遊んでいるのではなく、ただ単に、ボールで遊んでいる俺自身を思い出しているだけなのではないだろうか。もしそうならば、この俺はこのボール遊びの瞬間の中にいるのでは実はなく、この瞬間を思い出しつつあるもう一人の俺の記憶の蘇りの中にいるのであるならば、その思い出している方の俺、本当の俺は、いったいどこにいるのだろう。どんな瞬間の中にいるのだろう。」
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半島 / 松浦寿輝
水曜日, 12月 30th, 2009本当はちがうんだ日記 / 穂村弘
水曜日, 12月 30th, 2009「
それにしても、私のエスプレッソがこんなに苦いのは何故なのだろう。果実の香りとキャラメルの味わいの飲み物が、地獄の汁に感じられるのは何故か。それは、おそらく、私自身がまだエスプレッソに釣り合うほどの素敵レベルに達していないからだ。私の素敵レベルは低い。容姿が平凡な上に、自意識が強すぎて身のこなしがぎくしゃくしている。声も変らしい。すぐ近くで喋っているのに、なんだか遠くから聞こえてくるみたい、とよく云われる。無意味な忍法のようだ。
だが、と私は思う。本当は何もかもちがうのである。私は忍者ではない。私しか知らないことだが、実は、今ここにいる私は「私のリハーサル」なのである。これはまだ本番ではない。素敵レベルが低いのはそのためなのだ。芋虫が蝶に変わるように、或る日、私は本当の私になる。そのとき、私の手足は滑らかに動き、声はちゃんと近くから聞こえ、そして、私はエスプレッソの本当の風味を知るだろう。それは芳醇な果実とキャラメルの味わいである。
」