「ある現象に出会った時、直ちにそれを意味に置き換え分析したり、情緒に引き寄せて解釈することは極めて稀で、現象をまるごと、何の解釈も加えずに受けとろうとする傾向が強い。」(傘と長靴)
そんな著者が、父の死から自分の死までを見つめる小説2編。
「 棺の中の人は父である。
父と思い、そう呼んできた人である。だが、いまも父であるかと言えば疑わしかった。父の残滓だった。まして捕われの人のように両手首を縛りあげられた姿は、父ではない、わたしの知らない人に見えた。同時に、これが父の本当の姿であるようにも思った。そして、その姿を自分に置き換えるのは容易なことだった。」(傘と長靴)
「 生命体としての自分が消滅することは、仕方のないこととしてなんとか承知できそうだ。時間がかかるにしても、受け入れることができるだろう。
だがどう考えても断ち切り難いのが、現在のわたしが切り結んでいる家族、友人、猫たちとの関係だった。網の目状に張り巡らされたそれら諸々の関係によってわたしは生かされていた。わたしという実体はなく、関係こそが、関係の総体がわたしだった。わたしにはひとりで生き、ひとりで死ぬ力はなかった。諸々の関係抜きに、わたしは存在し得ないのだ。」(猫の水につかるカエル)