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良いことだろうが悪いことだろうが、他人という存在の扉を叩く行為は本質的には常におそろしい。何故なら、他人とは、自分とは異なる命の塊だから。そこには眩しいほどの未知性が詰まっている。それこそが恐怖の源であり、同時に喜びの源でもあるのだろう。
Archive for 10月 22nd, 2017
鳥肌が / 穂村弘
日曜日, 10月 22nd, 2017あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった / 川崎徹
日曜日, 10月 22nd, 2017もう生まれたくない / 長嶋有
日曜日, 10月 22nd, 2017
先生とは「先」に「生」きた人と書く。先に生きた人たちに、シルビア・クリステルという女優がどんな風に思われていたかは後に生きる素成夫には絶対に分からない。それなのに彼女の映像だけは残っているから、先に生きなかった者も簡単に検索をかけたりして、みることが出来てしまう。そして必ず実感できることもある。「亡くなって残念」なんて言葉は書かないし書けない。「実感した」ことだけを素成夫は書いて送信する。
[とても綺麗な人でしたよ]書かなければいけないレポートを前に、そんなことをして「ウダウダ」する、それもまた先に生きた人と共感しあえる普遍的な事柄かもしれないと思いながら。
先に生きた人たちと、先に死んだ人たち。
生きている側にいるから後も先もなく共感できる。